要点
- 行動経済学でノーベル賞を取ったカーネマンの 『ファスト&スロー』 の話です
- 人には ファスト思考(システム1・瞬間的) と スロー思考(システム2・熟慮的) の2つがあります
- 職場の「質問しにくい」「空気を読む」「黙ってしまう」は、たいてい ファスト思考 です
- ファスト思考だけで動くと、組織は 思考停止 に陥り、声の大きい人だけで決まっていく
- スロー思考 とは、一度立ち止まって「目的は何だったか」「何が最善か」を問い直すこと
- 「それ、システム1じゃない?」と ゲームのように指摘し合える 関係が、組織を良くするのではないか
1. カーネマンの『ファスト&スロー』
行動経済学で、心理学者でありながらノーベル賞を取った、カーネマンという人がいます。その代表的な本が『ファスト&スロー』です。
この本が言っているのは、私たちは毎回じっくり考えて行動しているわけではない、ということです。多くの場合、なんとなく反射的に、空気を読んで動いている。それは人間として、ごく自然なことなんです。
人間には、2つの思考モードがあるそうです。
- ファスト思考(システム1):瞬間的・直感的・自動的に判断するときの思考
- スロー思考(システム2):意識的・論理的に、あとでゆっくり熟慮する思考
カーネマン博士は、この2つのモードが私たちの行動を支配している、と言っています。私はこれを知って、すごく面白いなと思いました。世界中でベストセラーになって、組織運営や医療、教育といった幅広い分野に影響を与えているそうです。
2. これは、ティール組織の「関係性」につながる
なぜこの話をするかというと、これが ティール組織の関係性 のところに、つながってくるからです。
組織は「関係性」だとよく言いますが、その関係性を作っているのは、結局のところ一人ひとりです。だから個々が成長しなければいけない。その一方で、「人にはこういう2つの思考システムがある」と理解しておくこと自体が、お互いの関係性を良くするのではないか。私はそう思っています。
3. 職場の「言えない」は、たいていファスト思考
たとえば、こういう場面です。
- 院長が忙しそうだから、質問しにくい。今は聞けないと判断して、疑問を抱えたまま仕事を続ける
- 先輩が急いでいるから、声をかけづらい。タイミングを逃して、大切な確認ができないまま進んでしまう
- みんながやっているから、自分も合わせる。空気を読むことが優先されて、本来の目的が見えなくなる
- 怒られたくないから、自分の意見や疑問を押し込めて、沈黙を選んでしまう
これらは、だいたい ファスト思考 です。瞬間的な反応ですね。
ただ、ファスト思考は悪いものではありません。人間には本能的に、早く判断して身を守る機能があります。エネルギーを節約したり、素早く行動できたり、日常の作業を自動化してくれたり。人間の進化の過程で必要だったものなんです。
問題は、組織が反応(ファスト思考)だけで動くようになると、たくさんの問題が生まれてくることです。個人の防衛本能が、チーム全体の成長を妨げてしまう。ファスト思考だけに頼ると、組織は思考が低下する、と言われています。
4. 思考停止と、「声の大きい人」
この防衛本能は、別の本では 心理的免疫機能 とも論じられています。『なぜ人と組織は変われないか』(原題 Immunity to Change)という本で、心理的安全性の考え方の基礎になったと言われています。
みんながファスト思考で 思考停止 の状態になると、どうなるか。ミスを隠したり、分からなくても聞けなかったり。そして、声の大きい人だけで物事が決まっていきます。
十人くらいの病院では、よくあることです。組織に問題があると、誰かがいつも何かを教えてくれる。すると経営者は「あの人がいると、とても回る」と勝手に勘違いしてしまう。実は、これがすごくねじ曲げられた情報だったりする。非常に危険な状況です。正直に言うと、私自身もつい最近まで、そういうことがありました。
ここで言う「声の大きい人」とは、本当に声が大きいという意味だけではありません。院長にスルスルと意見を言える人、ということです。その人の偏った情報のまま、病院の運営や意思決定が進んでしまう。すると「あの人は院長と仲がいいから」と見るスタッフも出てきて、ますます本音が言えなくなる。
5. スロー思考とは、立ち止まって問い直すこと
では、スロー思考とは何か。
「これで良いのか」「目的は何だったんだろう」「動物や飼い主さんにとって、何が最善だったのか」「組織として、どう進化すべきか」。こうやって 一度立ち止まって、目的と本質を問い直すことができる のが、スロー思考だと思います。
いくつか、対比で見てみます。
- 忙しいから説明を短くする(ファスト:時間を節約できる) ⇔ 短くして飼い主さんは本当に安心できたか(スロー:少し時間がかかっても、信頼関係が生まれて長期的に良い結果につながる)
- 先輩が言ったから従う(ファスト:摩擦を避けられるが、なぜそうするのか分かっていない) ⇔ その指示の目的は何かを理解して動く(スロー:背景が分かるから、応用が利いて自分で判断できるようになる)
考えて動く、ということが、やっぱりすごく大切なのだと思います。
6. エアコン問題 — 「正論 × 正論」が衝突するとき
具体的な例を一つ。これは、うちを退職した人に関わる話なので、少しオブラートに包んで聞いてください。「エアコン問題」 です。
暑がりの人と、寒がりの人がいました。暑がりの人が、エアコンを尋常じゃない低さに設定する。寒がりの人と、いつも言い合いになります。
暑がりの人は「そもそも暑いんだからしょうがない。ある程度は配慮している。その言い方はないんじゃないか」と言う。寒がりの人は「あなたが暑がりで自分だけ暑いから下げているんでしょう」と言う。お互い、正しいことを言っているんです。
このとき、「じゃあ、もうあなたと勤務の日程を避けるようにします。それで解決」とするのが、思い切りファスト思考です。
でも、よくよく考えれば、どうでしょう。「暑いのは無理なんだから、もう1台エアコンを買っていただいて分けるのはどうか」「冷風機を置いてもらうのはどうか」。そういう議論をしてみても良かったはずなんです。仮に80万、100万の投資がかかると言っても、それで生活や仕事の質が良くなるなら、経営者サイドにお願いすることもできた。
トラブルが起こるときって、こういうことが多いんです。「正しいことは言っているよね」とよく聞く。それが、ファスト思考なんじゃないか、と私は考えています。
7. 「それ、システム1じゃない?」と言い合える組織へ
だから、組織の関係性を良くする一つの方法として、この ファストとスロー、システム1とシステム2 を、みんなが理解しているといいなと思うのです。
面白いのは、理解したうえで「あれ、それってシステム1じゃない?」「それ、ファスト思考じゃない?」と、ゲームのように指摘し合えることです。
「言っていることは正しいと思うけどさ」と正論をぶつけ合うのではなく、人間の思考の仕方をお互いに理解したうえで、冗談まじりに「それシステム1だよね」と言い合う。すると「あ、そうだよね。ちょっとスロー思考で、いったん考えてみるわ」となれる。
これを、ゲームみたいにして組織に取り入れられたら、改善の一つのチャネルになるんじゃないか。行動経済学の『ファスト&スロー』から学んだこととして、紹介したいなと思っています。
まとめ
- カーネマン『ファスト&スロー』には、ファスト思考(システム1) と スロー思考(システム2) がある
- 職場の「質問しにくい」「空気を読む」「黙る」は、たいてい ファスト思考
- ファスト思考は本能で悪くないが、それだけで組織が動くと思考停止 に陥る
- 思考停止は、ミス隠しや 「声の大きい人」だけで決まる 状況を生む
- スロー思考 は、立ち止まって「目的は何か」「何が最善か」を問い直すこと
- 「それ、システム1じゃない?」と ゲーム感覚で指摘し合える 関係が、組織を良くする
FAQ
Q. ファスト思考は、なくしたほうがいいのですか?
A. いいえ。ファスト思考は、人間が素早く判断し、身を守り、日常を効率よく回すために進化の過程で必要になった機能です。なくす対象ではありません。問題は、組織の大事な判断まで反射だけで決めてしまうこと。場面に応じてスロー思考に切り替えられることが大切だと考えています。
Q. 「声の大きい人」の情報が偏っている、とどう気づけばいいですか?
A. 「誰がそう言ったか」ではなく、それが事実なのか、その人の解釈なのかを分けて見ることだと思います。よく教えてくれる人ほど、その人の解釈が混じっていないかを一度疑う。経営者が「あの人がいると回る」と感じているときほど、注意が必要です。
Q. 現場で、どう取り入れればいいですか?
A. まずはチームで「ファスト思考とスロー思考がある」と共有することからだと思います。そのうえで、議論が熱くなったときに「それ、いまシステム1かも?」と冗談まじりに言い合える空気をつくる。正論のぶつけ合いを、いったん立ち止まる合図に変える。それだけで、関係性はずいぶん変わると思っています。
澤村 昌樹 — 沢村獣医科病院 院長
